明治30年に読売新聞で発表され、明治の時代に多くの読者を魅了した尾崎紅葉の名作「金色夜叉」(こんじきやしゃ)。
許婚の関係にあった間貫一(はざまかんいち)と鴫沢宮(しぎさわみや)。しかし、両親の勧めに従って実業家に嫁ごうとする宮と、これを裏切りと感じた貫一は、1月17日の月の夜、熱海の海岸で泣く泣く別れることになりました。(それがいわゆる「熱海海岸の場」であり、二人の傍らにあった松が「お宮の松」として有名になり、全国から多くの観光客が「お宮の松」を見に来るようになりました。)
日本中の人々が、熱海の名を知るきっかけとなった「金色夜叉」の作者である 尾崎紅葉の偉業をたたえ遺徳を偲び、毎年1月17日に「尾崎紅葉祭・紅葉筆塚祭」を開催しています。
日本中の人々が、熱海の名を知るきっかけとなった「金色夜叉」の作者である 尾崎紅葉の偉業をたたえ遺徳を偲び、毎年1月17日に「尾崎紅葉祭・紅葉筆塚祭」を開催しています。
当日は、関係者による挨拶や献花のほか、熱海芸妓による名場面の再現(舞踊)が予定されています。