伊豆の地名発祥の地でもある伊豆山(いずさん)神社。
源頼朝が源氏の再興を祈願、また、頼朝・政子が結ばれた場所であるため、縁結びの神社としても有名です。
毎年4/14~16の3日間、例大祭が行われます。
神社参道の急階段を、四基の神輿(伊豆山浜の西殿神輿 伊豆山岸谷の本殿神輿 伊豆山仲道の東殿神輿 伊豆山丙午未奉賛会神輿)が下る様は勇壮の一言!ぜひご覧下さい。
ちなみに・・・伊豆山神社の約800段と言われる階段について、「正確には何段あるの?」というお問い合わせがしばしば。
実は、地域の方や観光のお客様など、皆さんが思い思いのカウント方法で階段を数えているため、どの案内書にも統一した階段数が標記されていませんでした。
そこで、統一された階段段数調査基準を設定し、2010年に正式にカウントされました。その結果、本殿前が起点、走り湯の石碑が終点と決められ、階段の数は「837段」でした!
【関八州総鎮護「伊豆山神社例大祭」】
日程/4/14(日)~16(火)
場所/伊豆山神社(伊豆山708-1:電話0557-80-3164)
交通/熱海駅より七尾団地方面行きバス利用約10分→伊豆山神社前下車
◆宵宮祭 4/14:20時 子供神輿町内巡幸
◆例大祭 4/15:10時 神子舞及び実朝の舞奉奏
◆神幸祭 4/15(雨天の場合は4/16)
・発輿祭13時 御列召立の儀(神輿が下ります)
・下宮祭14時 神子舞及び実朝の舞奉奏
・還御祭15時
◆正殿祭 4/16:10時 神子舞及び実朝の舞奉奏
-神賑奉納諸行事-
◆例大祭奉祝古式み輿練り(伊豆山勢輿会) 4/15 町内練り
◆古式三三九手手挾大的奉射(小笠原流宗家一門奉仕) 4/15:11時30分(雨天中止)
※天候等により時間の変更がある場合がございます。
●源頼朝と伊豆山走湯権現(伊豆山神社)
平治の乱に敗死した源義朝の息子、源頼朝が伊豆韮山にある「蛭ヶ小島」に流されました。幼少期より20年間、一番感受性の強い時期を流人として伊豆の大自然の中で過ごしました。しばらくして、伊豆山走湯権現の別当密権院(みつごんいん)の僧、阿闍梨覚淵(あじゃりかくえん)に師事するようになりました。当時、走湯の神威と衆徒の勢力は絶大で、治承四年(1180年)その力をかりて源氏再興の旗あげをしました。
建久三年(1192年)、鎌倉幕府が出来た後も頼朝の崇敬は厚く、様々な寄進をする一方で、伊豆山権現と箱根権現を巡る二所詣(にしょもうで)を行いました。頼朝は4回、政子が2回、実朝は実に8回もの詣でをおこなったと吾妻鏡に記されています。
●源頼朝と北条政子の歴史ロマン
鎌倉の尼将軍と名をはせた北条政子は伊豆韮山の小豪族の娘。伊豆韮山の「蛭ヶ小島」に島流しにあった源頼朝と恋に落ち、お互い結ばれることを望みました。しかし、政子の父、北条時政はこの結婚に大反対。平家全盛の折、源氏の流人頼朝の前途は絶望的であり、また源氏との縁組は北条家にとって命取りになると考えたからです。時政は政子を伊豆国の目代山木判官平兼隆に嫁がせることを決めてしまったのでした。婚礼の夜、政子は宴席を抜け出し、日金七里の山路を越えて伊豆へ逃れ、足川の地にかくれ住みました。そして、阿闍梨覚淵(あじゃりかくえん)の坊にいた頼朝は部下の知らせをうけ、政子と劇的な対面をしたのでした。その時、2人が出会った場所が、逢初橋(あいぞめばし)の上と言われています。伊豆山は、ひたむきな愛を育んだ頼朝と政子の歴史ロマンの地なのです。